NIJIの夢
10月15日(木) 〔表敬訪問〕 本日の17:00過ぎ、敦煌市の孫書記を表敬訪問する予定だ。 5年前の国際友好都市締結時には市長だった人である。 現在は書記に昇格し、敦煌市政府のトップリーダーとなっている。 今回の歴訪の中で最後の公式セレモニーとなる。 その前に、市内名所の観光視察に出かけたい。(*^^*ゞ 先ずは、何といっても莫高窟である。 前回、普段は一般には公開しない「特別窟」を見せてもらったが、今回も何箇所か施錠されている窟を開錠してもらう予定である。 但し、カメラは勿論、小さ~いバッグ以外は入り口で取り上げられるので内部の撮影は出来ない。 売店で売っている本でさえ、模して描いたものである。 従って、現地まで行って自分の目で確かめるしか方法はないのだ。 懐かしいなぁ。(*^^*ゞ 事務局カメラ担当のお姫様、初の海外に興奮して莫高窟前でおどけてみせる。 かっわいい~♪ まさに砂漠、水の流れない川に橋が架かっている。 敦煌は砂の街であると同時に石の街でもある。 石材でグラスを作り、展示販売している石材センターに立ち寄った。 ここで、グラスが出来上がるまでの工程や道具を見せてもらった。 特級・高級・中級・・・と続き、薄いものほど高級品とされるのだ。 グラス以外にも石を使った様々な装飾品が並んでいた。 グラスに使っている物と同じ石をあしらった可愛いストラップが有ったので買い求めた。 ちなみに、自宅には5年前に買い求めた2組の特級品グラスがある。 使って使えない事はないが、記念としてサイドボードに飾ってある。(*^o^*) ここは有名な観光スポットの鳴沙山である。 鳴沙山の山肌には木製の梯子が掛かっている。 かなりの急斜だが、頂上まで登る事が出来るようになっているのだ。 前回は諸般の事情から登坂を断念した。 あれからでは5歳年を取ったが・・・今回は登ってみるつもりである。 鳴沙山の一角には砂漠のオアシス・月牙泉もある。 遥か遠くの万年雪に覆われた冠雪山から溶け出した水が、地下を通って伏流水となり月牙泉に湧き出ているのだ。 よく見ると泉には魚も泳いでいる。 40元(日本円で約600円)を支払って登坂開始! その間、鳴沙山の麓まで観光客を運んだ駱駝は暫しの休息。 帰りもまた、ご主人様を乗せて帰らないといけないもんねぇ。 この038番がNIJIを乗せた駱駝です。 手前の黒い影はNIJIがシャッターを切っているところです。(*^^*) アップすると可愛い顔をしているでしょ? 駱駝が一休みしている間、NIJIは必死に砂山を登っていた。 心臓がパンクしそうになり途中で諦めようと思ったが、ここは男の意地の見せ所である。 這っでも登り切ってみせる! 下から見ていたメンバーは、NIJIの年齢を考慮してか、「NIJIさんには無理だ」と言っていたという。 しかし、NIJIには心臓がパンクしてでも頂上まで登らなければならない理由があった。 それは・・・今回の参加者の中に○島さんという中年の女性がいる。 彼女はツアーの参加が決まってから、お母さんを亡くした。 そのお母さんの遺骨を鳴沙山に散骨したいというのだ。 NIJIは、どうしても一緒に弔ってあげたかったし、散骨の儀式に参加したかったのである。 そのために、大雁寺を天辺まで登ったり、白塔寺公園の長~い長~い心臓破りの階段を登ったりして、この日のために準備していたのだ。 砂山の中腹(中間)には休憩所がある。 その一角に半分の遺骨を埋めて懇ろに弔った。 残り半分の遺骨は頂上で散骨する事にして、再び登り始めた。 しかし、○島さんは、これ以上登れないという。 NIJIと数人のメンバーは遺骨を預かり、残された力を振り絞って頂上を目指した。 文字通り砂を這うようにして頂上に辿り着いた。\(*^o^*)/ そこには少し強かったが、爽やかな風が吹き渡っていた。 砂山の中腹から見守る○島さんに手を振りながら、頂上における散骨式が始まった。 懇ろに手を合わせ、永遠のご冥福を祈った。m(_ _)m 頂上を制覇した者だけに許される絶景・その1。 頂上の先にも果てしなく砂山は続いている。 頂上を制覇した者だけに許される絶景・その2。 頂上から見た月牙泉。 泉で泳いでいる魚が見えますか? (*^o^*) 頂上を制覇した者だけに許される絶景・その3。 遥か遠い地平線に敦煌の街並みを望む。 頂上を制覇したNIJIには、もう1つやる事があった。 それは頂上の砂を持ち帰る事である。 出入国の際の検疫に引っ掛からないとは思うが、念のためスーツケースの奥深く仕舞い込んで日本に持ち帰る事にした。(o^-^o) ペットボトルに少量の砂を入れ、滑るようにして山を駆け降りた。 鳴沙山で時間を費やしてしまい、孫書記の表敬訪問にはギリギリだった。 訪問といっても、敦煌市側が宿泊ホテルまで出向いてくれるのだ。 この訪問の際に、敦煌市と友好都市の関係にある☆☆市長のメッセージを渡す事になっている。 訪中メンバーは観光の後なので、着替えをしないでラフな服装で懇談会に臨んだ。 敦煌市政府側が、それでも良いと言ったのだ。 しかし、NIJIだけは正装を余儀なくされた。 ここで、今回の表敬訪問について若干の説明をしなければならない。 当初の予定では、敦煌市の孫書記を訪ねる予定だったが、中国成立60周年に関する事なのか何なのか分からないが、急用が入り面会が出来なくなってしまったのだ。 代理として現われたのは、市政府のナンバー2らしい。 一方、当方も団長を務めていた日中新世紀会の○藤代表が、訪中4日目の朝、急な用事で帰国する事になってしまったのである。 その結果、☆☆市長のメッセージは☆☆市民であるNIJIが敦煌市政府に手渡す事になったのだ。 よって、NIJIだけは正装を余儀なくされたのだ。(*^^*) ホテルの大会議室を借りて、敦煌市政府高官との懇談が始まった。 その間、NIJIは部屋に戻って体中に付着している砂を落としてスーツに着替えていた。 会議室に戻ったら、懇談は進んでいて既にメッセージを渡す直前まで来ている。 と、手元にメッセージ入りの封筒がない・・・。\(◎ ◎)/ 落ち着いて考えてみた。。。。。 そうだ! 今朝、観光に出かける前に中身を確認した後、失くすといけないので時間までフロントに預かってもらう事にしてあったのだ。 ガイド&通訳の白さんに目配せして、直ぐに持ってくるよう促した。 但し、懇談会の通訳は敦煌市政府の職員(写真中央)が務めた。 届いた封筒を開き、中身に間違いがない事を確認してから丁寧に手渡した 「私どもの○藤○夫市長から、 『孫閣下にくれぐれもよろくお伝えください』ということで、メッセージをお預かりしてまいりました」 固い握手を交わし、大役は無事に終わった。\(*^o^*)/ 終了後も、彼のナンバー2は「☆☆市は友達!」と何回も握手を求めたり、抱き合ったり、記念写真に納まったりしてご機嫌だった。 NIJIとしては、あまり男とは抱き合いたくないのだが・・・。(^〇^) これは余談になるが、アメリカ訪問中に訪米メンバーであった☆☆市の職員が、冗談半分に「NIJIさん、敦煌に行ったら○藤市長のメッセージを孫書記に渡してくださいよ!」と言っていたが、何と本当になってしまったではないか!(o^-^o) 続いて 「ここは何処だぁ~!」 へ